HASE-BLDG.1
昭和と平成の境界線
隣り合う街には、地名地番だけでなく、なんとなくここからは隣町だという境界がある。この敷地がまさにそんな境界線上にある。名古屋市の若宮大通と名古屋高速を挟んで隣り合う大須と栄は、信号が赤から青に変わっても、歩いて一度で渡りきれない微妙な距離感と、大通りの上を走る名古屋高速により、対岸の街の様子がつかみづらい視覚的な離隔感がある。栄はいわずと知れた名古屋の高級ブティックや飲食店などが集まる商業の中心地であり、いつも多くの人々でにぎわう、いわゆるお洒落な街である。一方、敷地のある大須は、大須観音を筆頭に多くの神社仏閣があり、アーケード商店街や大須演芸場など、生活と商業、娯楽が混在する庶民の町である。施主の依頼はRC造地上6階建ての賃貸ビルであった。賃貸ビルは数十年スパンで変化する街の影響をダイレクトに受ける街の縮図のような建築だと考えている。いい意味で昭和の庶民的な街の空気感や建物のバラック感が残る大須と、平成の大資本が投下される栄の空気感や大通りに面した立地条件をどう生かすか。単純化すると、昭和と平成というふたつの街の色を、どのようにひとつの建築に昇華できるかがこのプロジェクトの課題だと感じた。
多目的建築を実現する歪んだ枡目
ふたつの街の色をひとつの建築で実現するため、様々な街=建築のプログラムの可能性を思考した。1,2階は階高4,5mの高天井の空間とし、大通り沿いの立地を生かした商業系、3・4・5階は見晴らしのいいオフィス系、6階はCAnの事務所であることと、隣り合う建築と同程度の高さを確保したいという施主の要望から、吹抜けのある高天井の空間としている。初期条件は前述の通りだが、街のニーズに応じて階ごとの構成が変化し、混在できる法的諸条件をクリアしている。また、約45坪のワンフロアを3分割できるようにして、大須の小さな商業・オフィス系に見合った空間のスケールと、様々な業態に対応できる設備増設スペースを確保し、将来的にガス・水道・空調などを部屋の分割、業態に応じて自由に対応できるようにした。しかし、これでは従来の賃貸ビルを超えることにはならない。そこで、プログラムの可能性を集住系まで拡張し、すべての可能性を包含できる多目的建築を目指すことにした。その結果、生まれたのが歪んだ枡目をもつ揺らぎ感のあるファサードである。北側の大通りに面してテラスを設けることは、室内環境や商業的にはメリットは少ない。事実、この通りに面する建築は、貸し床面積を重視したツルンとした表情の賃貸ビルと、低層の商業フロアの上に均質なテラスが積層された集住系がほとんどである。そこで、平面、断面的にギザギザなテラスがつくりだす歪んだ枡目により、商業・オフィス系としての視覚的求心力と将来的に枡目のテラスを手掛かりに集住系の間取りにもコンバージョンできる骨格を与えようと考えた。
枡目という触媒の可能性
ここで、ひとつの壁にぶつかった。藤森照信氏の命名した看板建築には魅力を感じるが、自分自身が設計をする際に、通りに面したファサードだけ際立たせるような建築は如何なものかと考えていた。もともと、東京から東海地方に活動の拠点を移したのも、360度全方位に建築を開ける可能性がある立地条件が多そうだと思ったからである。事実、岐阜ではそのような立地条件の設計に恵まれた。しかし、大須と栄の境界にある本敷地は、3方向が建物に囲まれ、前面道路のポテンシャルがかなり高い。限られた予算内でテナントを誘致する力を最大化するためには、最も人目に触れるファサードを生かす必要がある。一枚の被膜を象徴的に扱うことへの違和感が拭い去れなかった。そんなことを逡巡しているときに、ふと、横尾忠則氏の「誰か故郷を想わざる」という、宇宙に枡目状の線が描かれた一枡ごとに涅槃像がいる作品を思い出した。宇宙空間に無限に広がる薄い境界面としての枡目と同様に、歪んだ枡目が建築の内外に直接作用する触媒としての可能性を積極的に捉えてみようと考え始めた。
歪んだ枡目の作用・反作用
歪んだ枡目は、見る場所により様々な表情を見せてくれる。大通りの対岸から正対すると枡目が強調された集合住宅に見えたり、前面の歩道を歩くとギザギザの壁と床が重なる襞の多い建築に見えたり、下から見上げると角度によっては最上階まで見通せたりする。一枚の歪んだ枡目が正面性だけでなく、建築の横顔もつくりだす。外観は栄と大通りに面した商業系に適した求心力のあるアイキャッチとなり、内部は大須の小さな商業、オフィス、集住系に呼応して、空間を分割できる秩序をもたらす。まるで、ニュートンの第3法則のように、歪んだ枡目がふたつの街の作用・反作用の触媒となる。様々な視覚的効果と内部空間に秩序を与える歪んだ枡目が、ふたつの街をつなぐ場となっていくことを楽しみにしたい。
CAn/宇野享